2017年1月9日月曜日

< 優先度 >

< 優先度 >
その国土に「像」が溢れようが一部海外にも造られようが、いずれそんなところには訪れる者が居なくなるだけである。
片や毎日尖閣を周回し日本の海保に向かって共産「中国の領海・領土」から「立ち去る」ように警告されて、着々と「実効支配」されていることには、この“政権”もその“与党幹部”も声明のひとつも出さず、国会でも論議しない。・・・こちらは、遠からず“行きたくても、行けない”事態となるだろう、間違いなく。
米国は従来から、まして新政権はまったく関心を示さないだろう、“ご自分で対処を!”と。

まったく、馬鹿げた、少なくとも数十年いや百年単位で続く、近隣への「迎合」と「蔑み」の心根の表\れだ。

“大衆”(赤絨緞を踏む者も含んだ、そこそこ高等教育を受けたアン・・タン達、の意、「民衆」ではない)への迎合とは、こういう実態を指して云うべき概念だ。

メディアを支配しているこの“大衆”達は、同類の評論家に半島の人達をこきおろさせ、お笑いタレントの“コメンテーター“には小ばかにした発言をさせて、広告料を稼いでいる図だ。

どの国も、自身の国益(国民の生活の発展・維持、領土、領海、領空、を守ること)以外のことを政策に掲げる政権などない。・・・いま、騒ぎ立てているトランプもプーチンや習その他も、それだけであって、その外の何物でもないし、何か特別なものを持ち合せてなどいないのだ。
 得て勝手な「思い入れ」など無用どころか有害である。

「やり過ごしてはいけない、見過ごしてはいけない事」の「優先度と強度」を図れない政治は、いっそうのこと、国民を貶め貧せしめるものだ。