< 立ち止まって考えてみると・・ > 辛いときは、身をかがめてじっと“とき”を待つべきだ、とも考えられる なにも、無闇に「自立だ」と唱えて、とくに軍備にイソ\シムことはないのだ、と 実際、環境によってはそれが正解だということもできる 敗戦後の占領下とその延長上の高度成長を遂げるまでの間、対外的にはじっと身をかがめているほか術などなかったのだ とはいうものの、しかしそれは半ば、却ってそれを良しとする考えもあり得たし、実際にその“効用“は、仮に図らずもであっても、絶大だったとも云える 意図してだとすれば、これほどの狡知はないだろう ドイツも、東に対峙する最前線にあっても、米国安保下で同様の効用を享受してきたのではないか 左程の軍事的負担を負わずに済んだことは稀有の恩恵・僥倖だったといってよい 右も左も、この点では異口同音に“対米従属”の一言で割り切って見せているが、必ずしもそうとばかりは言えない一面があるのだ 「敗けた」事実の重みは、身をこごめることによってしか絶えることなどできなかった、という事実を忘れてはならない 問題は、そうした時代の先人達にあるのではない、・・・今の、せいぜいこの15年・20年のわれわれにあるのだ!!・・きっとそうに違いない ドイツは米国に一々お伺いを立てているわけではなかろう・・・たとえば、共産中国対応について無論のこと、対ロシアにおいても なぜ、日本だけが、そうあらねばならないのだろうか? 敗戦後の相当の期間に及ぶ大陸共産中国をカウントする必要がなかった時代と、もはや現今のそうではなくなった今後とはまったく異質な世界だということから、・・もしも“時代”という区分をするならば、・・・すべてを見直すことが急務だ、と思える 多くの政治家や有識者と云われる人たちは、まったく切り口を間違えたまま世界を、将来を観ているのではないか?・・そんなこと、いまさらとでもいうのだろうか? 皆さんは、どうお考えか?