2018年11月14日水曜日

< なるほどなぁ、と >

< なるほどなぁ、と >
少しばかり時間を遡って、しかるべき人達がどう見ていたのか、と思って稀に覗いてみたくなる、・・・もちろん「国際」の環境が異なるからそのまま「今」に持ち込むわけにはいかない、・・けれども、そんな違いは然したることでないと思わせる程に、「なるほど」と少なくともさし当りは思わせられる。

福田恒存氏だったか、雑誌か何かに、核は「悪魔」と呼ばれていた昭和30年代半ばの批評だ、正確でなくて恐縮だが、・・・核軍縮をめぐって英国のBラッセルの核廃絶云々と唱える運動に噛みついて、摘まんで云うとこんな風に評しているはずだ、・・・知識人、民衆が核廃絶を唱えてそれを承けてその政府が実現に向かうと仮りにしてもそれは民主主義国だからできることで、共産国家は民衆が唱えたからといってそれに従うような政府ではそもそもがあり得ないのであるから、核軍縮は結局共産主義国家だけが核兵器を保有する世界を生み出すだけだ、・・・ラッセルは核戦争が「一寸した誤算」から起こり得るから廃絶せよというが、今後その製造を行いさえしなければそんなことは起こらない、と考えること自体が誤算で、核「実験」が一寸した誤算から起こり得ないなどと考えること自体がおかしい、・・・ある「軍縮案」がその国の政府にとって呑めるという事はそれが相対的に自国の軍拡になる場合かそのように誤算した場合だけだ、とも。

別段全部賛同して云うのでない、・・・『「悪魔」は一度地上に現れた以上、二度と地下には潜らないだろう』、と告げられても、「そうだろう」とは思うものの、それでその先、日本はどうする、とは今の自分達で考えよ、と突き放されているようにも感じ取られる。

屋山太郎が、『国家に降りかかっている朝鮮半島の火の粉は戦後最大のもの。効果的な守備体制や防衛にどう日本が向き合わねばならないかを聞きたい』(静岡新聞5/30)と、たぶん国政の本来を問うべき政治の姿を貶めて止まない野党に向けての言のようだが、これは政府・与党にも向けられるべきものだろう、と、・・・こういう時にあって、「庶民」は、指針となる真っ当な「事実」とそれに基づく「批評」を、密かに請うているが、・・・これに応えられる知識人・識者はもう居ない・・・自信を頼むだけのなんとも情けないが力のない身には、剽窃と偽計に満ちた「報道」という名の憶測の中に「わずかな事実」を感じ取るべくじっと見詰めることができるだけだ!!