2018年11月14日水曜日

< たしか、9千円だった >

< たしか、9千円だった >
大学の年間の授業料が、・・・一・二年先輩は3千円だったはずだ、なんと3倍にもなったが、当時の物価環境からしてもそれだけだった、とても助かった!!!・・・子供の数を気にしないようにするならば、高等学校も無料「化」することはむろん是とすべきだ!

・・・一部の「新自由」の経済学者は、「好」成績で軽減だけでなく「悪」成績で「荷重」すべきという者がいるが、それは「庶民」には手の届かない所属の有名私大で勝手にやればよいことだ!!!

どんな「書生」が、将来「成果」を挙げるか、は規定のカリキュラムの上での「成績」なんぞで測れるとはとても思われない、・・・その「成果」の意義さえ分明にされていないなかで、当方はまったく信じていない!!
 国の「総体として」みれば、ごく「当たり前の判断力」を有する「庶民」の民度の向上は、その「成績」に含めるべき要素の一つであり得るからである・・・それは、「問う」こと自体から産まれる、そして、問いに対する「応え」は、制度としての学業期間のうちに得られるとは限らない、いつ到来するかは分からないものだ!!
 むろん、「学習」と「学問」とは別事だからだという一面はあるが、高等教育の意義を初等や中等教育と同様に捉えるべきではない、と考える。

・・・実際、国際的に認められる業績は(人知れず無名の、しかし実質的な影響力のある仕事を果たしている人達もたくさんいるはずだが、ここでは措く)、「学校」時代の成績に、「反」はなくとも、比例しているとは思われない、・・・いささか突飛だが、十\年程前だったか、薬の研究開発について、兆単位の資金を投じ第三相まで治験を進めて完成間近と思われていたものが、最後に思わしくない結果が出て、オシャカにする実際例があった、・・・「分からない」のである!!
「教育」には「研究開発」類似の本質的意義があるのだ、間違いなく!!!

 
しかし、「都会」に出れば、教育費よりも、下宿や交通費の負担の方が重かった、今は尚更では?!

その子育て支援を「給付」ですべきか、は考えどころで、・・どんな内容だろうか?!!