2018年11月14日水曜日

< 絶好の機会 >

< 絶好の機会 >
今こそ、日本が独自に「運動」していると思わせるだけでなく、実際に運動し得る時はないのではないか、・・誰も口にしないのが不思議だ。

・・・できるわけがないと、しかし、まったく逆だと思われる、・・・「北」への働き掛けは、日本独自できるなどとこれまで誰にも思われない「とき」に、「司令塔」などと「例によって」軽すぎる大仰な謳い文句を口にするのだが、・・・むしろ、この段階でこそ、誰も自身から相手にしようとしない「このとき」こそ、どれほど細い糸であろうと繋がりが何がしかでも仮にあるのであればそれを使ってでよい、「制裁」を緩めることなどせずに「連絡」ぐらいは取れる環境になった、と看るべきである。

そういう発想がまったく欠けている、・・・この国のメディアや学者や評論家や政治家には!!!

彼等は、日本のことなど勘定に入れてなどいないかった、ことは明らかである、それが当然の「事案」だからだ、・・・こんな時に、日本だけ、お門違いの案件を騒ぎ立てて、オヤジの生きてるうちに済ませておくべきだったろうが、と!!

「できないときに、できないことを、やる」といい、「できるとき、すべきときに、出来る事をやろうとしない」という、歴々たる数十\年に亘る「姿」を何度も観ることに!!

『・・・元来、国と国とは辞令はいくら八釜しくっても、信義心はそんなにありゃしません。
 詐欺\はやる、誤魔化しをやる、ペテンに掛ける、滅茶苦茶なものであります。・・・』(漱石「私の個人主義」)
一旦、こう観念すれば、「何もしないで、なにも得られない」よりも「何かをすれば、何かが得られる」(予\定の結果が得られなくとも、そこから何がしかの情報や情況の把握が「自身の手」で果たせるのだ、という意味で)と、政治の世界では考えるべきだ、盲動はいけないが!!

なぜ、このように云うのか?・・・いま、少なくとも日本の(たぶん)多くの者が、ある種の安堵の「気分」に向かっているように見受けられるが、現状のママが一番面倒がないためであって、それは何もしない事の口実を政治家に与えることでしかない、と思われるからだ!

どのような状況になろうと、利するのは共産中国だけである、と思われる環境にあると捉えるべきである!!!