2018年1月23日火曜日

< 根っからの「違い」、なのか・・「Tの意義」 >

米国の商機だけに徹することの危うさは、同盟もヘッタくれもなくなる状況がやがて到来する、と十\分に思わせるからだ、・・・が、同時に、しかし、それに徹することによってコストとベネフィットの較差というより「偏差」をアカラサマにすることに繋がっていくという一面があるという捉え方が、自然に思い浮かんでくる、・・・環境協定の件もその一つにすぎない、理念というより想念だけ見ると、体裁の良いことを掲げていても、しかし実態は、国によってまったく異なる基準が適用されて総体では青天井の国(中国のように)と総体が抑え込まれる国(米国のように)が出てくる、しかもそのため仕組みを後者がより多く負担する協定にサインする方がむしろオカシイとも云える・・・、そのような「効用」は、やはり貴重で、その点はけっして軽視してはいけない、と思われてくる!!
 しかも、ドイツなどのように相手は“共産”中国であっても手を組む姿勢は、何ら大差など無い、というのが「国際」の実態なのだ!

 いま一つ、誰が大統領になってもそうなのかは知らないが、例えば一年前、それどころか半年前には一面識もなかった(かもしれない、と推察される)連中を、閣僚に据え付けて「仕事」をさせることだ、・・・

もし、そうだとすると米国は日本などとは異なる、何らかの根っから「違い」がある、と思われてくる!

むろんのこと、論功行賞で大使ほかに据えることはどこにでもあるコネ社会に共通の事で、だからすべからくとはいえないまでも、・・・だが、議会で人物査定する仕掛けは「お友達」やコネだけではことが済まない、と少なくとも構\え上の牽制にはなっているのかもしれないのだ!

 三ちゃん経営のオヤジが、心を許せるのは身内だけだ、・・・しかし、身内だけで仕事を果たそうとすれば、十\分でないことがすぐに分かる、・・・
 けっして自身が創った「大国」ではないのだが、でも三大核保有談合国家の横暴\の一角の承継者として振る舞うことに変わりないものの、・・もし、そうだとすれば、看て取るべき点があると思われてくる!!

戦争によって出来した戦後の仕組みが意義を終えた、と観念すると、その先が、談合国家連中に支配される「世界」しかあり得ないのか?という疑問が湧いてくる、・・・米国Tは、その「疑問」というか「疑念」の徴かも知れないのだ、と!!