2018年1月23日火曜日

< 「死に体」にむかって・・ >

この3月に「土石流」に例えて、ひとつは、こう述べて置いた、・・・

? 『・・・「政策」で倒し「政策」で倒され、「政策」で支持し「政策」で反対する、・・・政治家と有権者には、本来真っ当ならば、これより外に何もないし、あってはならない!!!
    けれど、実態は、阿呆らしい程の、権力志向者及び周辺者の「忖度と諂い」並びに「策略と揚足取り」、それしかないのか?それしか報道しないのか?
 政策集団以外に名を連ねては「アカン」ことぐらいは「イロハ」の事かと、思い込んでいたところ、特定利益集団なんぞに関わってならぬことぐらいは「ABC」であることが、たくさんのこれまでの事案で誰にも周知の事と思いきや、相変わらずの、まことに「つまらぬ」事案で、・・・もしも、僅かな亀裂や異音を見過ごすとすれば、「死に体」に向かって「土石流」のように抗うことができない様相が出来するだろう!!?
 事態の急変は、必ずしも、「本人の所為」のみから生ずるとは限らないのだ!!!
 切るべきは切る、処置すべきは処置する、そうしなければ「数があるから」と「のらりくらり」していれば、その当てにしている内輪の当(党)の「数」自体が、ただただその「土石流」を見遣るだけで何もして呉れなくなるだろう!???!・・・』(3/5付け <つまらぬ事から>)

2月には、
?『 一ヵ月ほど前に、いまならさしずめA氏(A,B,C・・のA)の方が望ましいのでは、その準備をすべきでは、と触れた(20160127)
 いま、一新聞が支持率66%だと報じている中でも、その“思い”に変りがない。
・・・なぜ、なのか?・・・交代なぞ決して望んではいない筈なのに、なぜこんな“思い“が湧いてくるのか?・・と想いを巡らすのだが、・・いったい何をしたんだろう、何が成し遂げられたのか、成し遂げられないまでも何が進みつつあるのか、それが一向に判然としないことより外に思い至らない。
 たしかに、二度とあってはならない民主政権の経済・軍事・外交のデタラメが糺され、かつ一部が正された、これを否定する者など居ない、真っ当ならば。けれど・・・
 いま“ポスト安倍は安倍”と云っている自民の偉いサン達、評論家、マスメディアなどは、その自身の身を守るためには“少し”ずつ、修正し始め、遠からず、次は誰に付くべきかを話題にし始めるだろう。・・・』(20170225< 次の準備を ver.2 >)


しかし、ひとつ訂正しておかねば、・・
?『・・・・向こう数年のいや「来10年の経済・外交・防衛構\想」とその基盤に立った将来のための「人材育成」と「将来の発展のための研究開発」施策とでもいうべき政策体系を打ち出すべきである。
 憲法改正(しかも、どこを改正となればまだ不定の)が現政権の内に「できる」などとは誰も想っていない、現状からして今後も「できるわけがない」!そんな「膂力」などなかろう!
 「そんな」ところを「狙う」よりも、「強靭化」の基盤である「経済」と各方面分野での将来の「人材育成」と不確実性が高いがためにこそ政府が手掛けるべき「研究開発」事業投資に、注力すべきである。・・それこそが、「自然」に民間に将来の「展望」を与える、真に政府が国内に限定せずにやるべき「政策」である。』(3/28付け < 端的に云って >)
などと書き、このうち「そんなところを狙うよりも」としていた、まさにその点を・・・折角に、取上げたところであった、・・・当初から4・5年の到達点として設定して議論させる策に出ていれば、という思いは、後知恵と言われても仕方なく、これは訂正しておかねばならない、・・!

ますます、「遠く」・・・でも、改めて、・・・そんなに人財不足なのだろうか??!!