2017年5月3日水曜日

< 終焉の足音 ver.3 >

いや、なにも、次のような昨日今日の報道によっていうわけではないし、ことさら望んでいるわけでもないが、・・・しかし、報道を信ずるならば、一・二関心を寄せるに値するのではと思わせる記事がある。
?『(時事)・・・23日にはTPP参加国であるオーストラリアのターンブル首相が安倍首相に電話を入れ、米国を除く新たな枠組みでTPPを実現できないか打診した。しかし、関係者によると、安倍首相は米国のつなぎ留めにこだわり、「性急だ」と首を縦に振らなかったという。
 首相は、トランプ氏が掲げる2国間の貿易交渉にも応じない考え。TPPよりも踏み込んだ譲歩を迫られかねない上、「アジア太平洋地域をカバーするものではなく、TPPの代わりにはならない」(同)と判断しているためだ。
 首相は今月中旬、東南アジア3カ国と豪州を歴訪し、自由貿易体制の意義を確認。地域の声を代表\する形でトランプ氏との初の首脳会談に臨む腹積もりだった。だが、トランプ氏が矢継ぎ早に打ち出す従来政策の転換で既存の枠組みは流動化し・・・云々 』

・・・以前、一言触れた、「まさか、代替案がないわけでは?」と。・・・だが、実際には、・・・元々が批准の可能\性が疑問視されていた上に、昨10月・11月には鮮明となっていた「動向」に直面しても、なおも見通すことができず、いまなお一層のこと「あて」などもはやない策にしがみついている姿は、「個人的な付き合い」なんぞで「外交」など手掛けてはいけないこと、国土強靭化という折角の長期の柱となる「日本を軸とする経済戦略」を「腰を据えて」実行すべきところ、実は他者からそのキャッチフレーズの体裁の良さだけ採ってきただけであって、中身は周辺の者の案をそのままおまかせで「自身」の衷心から出てきたものでないがために、他国頼みで、自身でコントロールできない外因によってただうずくまるより外になくなっていることが「実証」されつつある。

・・・「貿易交渉」に応じなければ、「貿易外の事案」含めあらゆることが「取引」の対象とされ「ご破算」にされるだけである。しかも、その「取引」たるや、自身は蚊帳の外である米・中の取引材料なのだ。・・・机上の想像だが、一部の右翼保守の中には、“尖閣“にとどまらず共産中国との「取引」材料に、日本の頭越しに大陸中国と直に話し合いが始まる、彼らの間での提案は言うまでもない「米国から」とは限らないのであるから、共産中国が提案してくる、と騒ぎ始める者が現れる程だろう。
・・・いや、むろん「想像」はともかくも、・・・アジアの東や南の海洋での、米中の損益分岐点はどこにあるのか?「動学的均衡」とやらはどのあたりにあるのか?・・・インセンティブを分析すれば経済学的に解けると唱えている経済学者や経済誌にあるいは国際政治学者に、今こそそのご専門の分析と処方を示して貰いたいと願うものだ。是非(分かりもしない数式は省いて)いまこそご教示願いたい、・・無論誰よりも総理に向けて。

?『・・・物足りないのは、法案処理や改革の断行に「数の力」がどれだけ有効に活用されているかという側面である。
 代表\例は、憲法改正の項目の絞り込みなどが遅々として進まないことである。憲法審査会の運営は「民主的」に行うという慣例があだとなり、改正に抵抗する政党のサボタージュに付き合っている印象が拭えない。
 高齢化社会に対応し、社会保障制度を維持するのに必要な改革についても、有権者の「痛み」を伴うものには、まだまだ腰が引けがちではないか。
 必要なものであれば、たとえ「人気のない政策」であっても国民や国の利益のため果敢に取り組む。そのために「数の力」が与えられた。国民の負託に応える責務があるという気概を、もっと示せるはずだ。
 「政治とカネ」の問題をめぐり、政治家の財布を厳しく監視する改革にも、自民党は不熱心と言わざるを得ない。定数是正や選挙制度改革について、野党以上に腰が重いと見受けられる場面も少なくない。
 環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の承認では、野党の反対を押し切った。競争力の強化に向け、農業分野などの規制に切り込むことも、安定勢力だからこそ進めるべき課題だ・・』(産経「風を読む」;1/24)
課題の取り上げ方は、むろん逆だ、どれも当初からの課題だ、にも拘らず博打場の如きに数の力を使っていったい何だ、というべきだ。しかも「あて」もないことに予\算を付けて何とするんだ、と云うべきところ、長期の経済施策はないのかと問うべきところを、・・・でも要は、この「作文」は実質上、「選挙に勝っても何もできてないじゃないか」、と云っているのだ。・・・見てとるべきは、昨日まで持ち上げていた勢力が、こんな口をきき始めたことだ、「物足りない」と!
これは、まるで、その翼賛陣営とみられているらしいメディアから「尻を叩かれ」るようになった「かのよう」である。

この分岐点に立ち向かえる政治家は誰だろうか?