本来の、立ち向かうべき課題に、立ち還ろうとするとき、一番に真っ先に浮かんでくるのは、やはりひとつには、米国のTだ。 その最も懸念されるがために、最も情報も報道も伝えられることがない、と思われ、それゆえに最も知りたいと思われる「点」がある。 この御仁は、一部のTV評論によると、二国間が「お好き」なのだそうだ、・・・それがでまかせの思い付きの評論ではないと「仮に」したとして(直かに接して掴んだものではなくて、向こうの報道をみたりしての印象にすぎないものだとしても、それでもそれらをよすがにする外ない)、・・・「交渉」は2国間であっても、その背景には、その国の多国間の関係とその脈絡の遠近やら濃淡やらが、その戦略に基づいて描かれていなければならないものだろうと、どんなに「素人であっても」考えるところ、・・・一体それはどのようなものだろうか? 至る所での、いまある条約や協定や何やらをひっくり返すとの宣言だが、その事の影響の在り様にとって、どのような課題が有り得るのだろうか? 例えばの話し(よく知りもしない案件を持ち出して恐縮だが、分かり易いだろうと思えるからに過ぎない)、・・・メキシコとの交渉が及ぼす影響は、日本との関連ではどんなものか、というとき、それは、中南米での共産中国の例えばこの10年来の「攻勢」(それがどんなものかの情報と分析を含めて)に照らして、中国に何を齎し、それを通じての、米国や日本にどんな影響が出てくるのか? 米国の他国との2国間のやり取りが、共産中国やロシアにどんな関連と影響を及ぼし、それが日本にとってどんな意義を帯びてくるか? 云いたい事は、・・・他国の2か国の事案だからといって、日本に無関係などと云う事はないに相違ない・・・われわれ「庶民」が知りたいのは、そういう情報と分析であって、・・・けれども、本当に全く残念な事には、・・・しかし、いまの日本の政治状況と行政と言論の世界は、とてもとても、そんな基礎的・基本的な活動がなされているとは、とても、・・・皆無だろう!!! 「俯瞰」が必要なのは、一政治家が動き回ることなんかではないのだ。 Tにはほぼ間違いなく、そして、日本の言論にはなおさら、本当に探るべきこと考えるべきこと策を練ることにおいてまったく「俯瞰」が欠落している、というようにしか映らない、・・・それがいつも「危うさ」を国民に感じさせているのだ。