2017年5月3日水曜日

< 次の準備を >

年齢は関係ない、現有の勢力のなかで相対的には、次は“A”氏であった方が日本の将来のためでないか、と思っている人達もおられるのではないか、・・・との推察は可能\だ、内部事情を知る由もない者であっても。
ささいな事での揚げ足取りを報道と誤認しているマスメディアに対抗する工夫さえ怠らなければ、再びは十\分あり得る、と。
その方が、他の政治家よりも・・・もっと長期の経済を核とする堅実な施策を行うにつけては、貴殿はじめ経済社会基盤の長期に亘る整備・構\築を掲げる人達の施策実現の場や機会がもっと大きく広がることになると(失礼ではあっても勝手に)思われ、外交・軍事上においても単なる儀礼を超えた展開があり得るのでは、と。・・・次の政策がどのようなものかに関与して反映させることができるのではないか、と。
 
 個々の事象の関心の度合いと重きの置き方や個人的な宗教感やらの差異は人区々で、実際よくは知らない。・・・けれども、誰にも共通の基本である「経済」施策(国内にとどまらないで、“同盟“内にとどまらず、仮に今は異なる勢力であっても複数国への「事業投資」も含めて)については、そういう私人的領域の差異を超えて関わるべき政策事案だと思える。

施策の根幹部分が、外国政府の判断・議会承認に100%依存する、などとは、・・・どんなに政治活動に縁遠い庶民であっても、いやだからこそかも知れないが、これをオカシイと思わない者など居ない。・・・農業改革を論じて“輸出“すれば解決と唱える学者・評論家が現れたが、彼らの頭では海外市場だけはsay’s lawの世界だ、・・馬鹿げていることはすぐにわかる。・・・そんな他者依存やウソ\話しに基づく”外因”で即潰れてしまう様な施策はおよそ「政策」ではなかろうに。・・・これは、なにも海外との貿易はじめ協定の大切さの否定ではない、まして国内限定の施策をなどと云うのではない、むしろ逆だ、・・・輸出や輸入のために生活基盤たる国内経済があるわけでない、雇用を産む「ため」に事業があるのではない、物価を指標にして仕事をするわけでない、等々ごくごく自然な常識でしかない、しかもそう捉えることの「常識」は微塵たりとも、輸出も輸入も雇用も物価もないがしろにすることを意味しない、逆だ・・・。・・・いささか、後知恵、と評されそうだが。
これらは、普通の庶民の生活感覚の範囲内で、ごく真っ当な常識の範囲内のことだろうと、・・・違いますか?

遠くをみて堅実な政治をというのが普通の庶民の願いであるとすれば、それに“応えられる人達”にこそ「次のとき」のための準備を、という思いが湧いてくるのはむしろ自然で、多くはなくても少なからぬ者の思いではないか。先走っているように見えても構\わない、半年・1年ぐらいはすぐ経過する。

如何か?