2018年6月7日木曜日

< 右翼保守のダイバーシティー >

流行である・・・ダイバーシティー、・・・多様性と云えば聞こえがいいが、・・・「雑多」で一括りにはできない、あちこちとてんでに顔を向け方向が定まらない、と云うほどのことではないか、と当方には思えてくる!

年輩の右翼保守のことだ!!
右翼「保守」という一つの価値観やら世界観があるわけでない、「反」左翼という一点の外には何らの「内包」もない「雑多」に過ぎない!
ごく「真っ当な保守」の「庶民」は、「超」左翼であり、かつ「超」右翼保守であるから、これらとはまったく異なる!!

西尾という評論家が、トランプを賛美し、安倍さんを腐して、こういう、・・・ちなみに、数十\年も前に書生だったころニーチェだったかについての書き物を読んだような気がするが・・・

『・・・体が大きく、断固たる「意志」の表\明者であるトランプ氏は、久々に現れた米国大統領らしい人物である。・・・
 そこに「粗野」とか「軽率」とか「無遠慮」といった礼節の欠如を示す形容がついて回るのが、彼の特性とされるが、果たしてそうだろうか。彼の風貌をくりかえし見て、どこか憎めない、愛嬌(あいきょう)のあるところが常に感じられた。
 言葉の使い方も緻密で、外国での演説の全文を翻訳で読んだが、あれだけの分量を情熱を込めて語り切った能\力は大変なものだと思った。・・・
 今度のアジア歴訪で彼は機会あるごとに「アメリカ・ファースト」を叫んだ。ベトナムでは米国を他国に利用させないとまで言った。米国に依存する弱小国の甘えをもうこれ以上認めない、という宣言である。実は、今の世界はあらゆる国々が自己自身のために生きることを、臆面もなく主張する時代に入っているのである。・・・
 米国も例外ではない、と彼は言いたいまでだ。トランプ氏の物言いの臆面のなさは、今直面している世界の現実の、歯に衣(きぬ)を着せない表\現だと思えばよい。エゴティズム(自己愛)を認め合うことの方が、人道や人権の仮面をかぶったグローバリズムよりよほど風通しがよいと言いたいのだろう。
 彼はストレートで、非妥協的で、不寛容ですらある。米国社会に、ひいては全世界に「反革命」の狼煙(のろし)を上げているので、改革とか革命とか共生とか協調とか団結といった、人類が手を取り合う類いの感傷に満ちた世界にNO!を突きつけ、あらゆる偽善に逆襲しようとしている。
 今度のアジアの旅で笑ってしまった場面は、11月9日に習近平国家主席と対座して、28兆円の取引が公開された際の習氏の演説内容である。自国を世界に開放しすぎた結果の米国の引き締め策が「アメリカ・ファースト」だが、自国を世界にいっさい開放しない強権と専制の国である中国が、これからの開かれた国際社会の協調をリードするのは中国だとあえて言ったことである。
 これは笑い話であり、誰も信じまい。しかし28兆円に驚かされて本気にする愚かなメディアもあるかもしれない。28兆円の交換文書は契約書でも何でもなく、大まかな計画メモにすぎないのに。』(部分;20171116産経 西尾幹二)

これは、元外交官Mと同様に、「自国のために生きること」を提唱するTの賛美なのだが、・・・そのような「政策」でも「理念」でも何でもない言辞を、・・・トランプならずとも、オバマが世界から撤退しアジアで何もしてこなかったことも、「アメリカファースト」の「一形態」(ドイツ哲学風味に言えば)に他ならないのであって、実際にそれが「世界のいま」の現状を結果していることによって「実証」されているではないか!!・・・なぜ、そこに留まったままに「無闇に」というべく賛美するのか?
 
なぜ、「28兆円の交換文書は契約書でも何でもなく、大まかな計画メモにすぎない」のであれば、それを外遊の成果として喧伝するトランプ自身を、問題視しなのか!?!!
 
これらの者に特有の、左翼と相似の、無自覚な偏向の「独善」が滲み出ている!!!

自国第一主義は、単独で存立可能\と思われる国家、フル装備の軍隊と自前のエネルギー源保有可能\な国、・・いまの世界ではせいぜい三つか二つの核保有覇権国にしか実現できないものであることは、どんな素人でも分かり切った「現実」である、・・・いや、それらでさえ、同盟から協定まで様々であっても、単独では存立できないのだ!!

それは、共産党はじめ左翼の愚昧連中が、個別的自衛権は認めるというのだが、それがためには、集団でなく「個別」であれば尚更の事、核を含めた軍事フル装備をせざるを得ない事となるのは、ごく「真っ当な常識」に照らせば、自明の「現実」である、にも拘らず、それが「平和的」な主張であるかに誤認しかつ誤魔化している姿、・・・、「理路の機微」からすれば、まったく同様のものである!!!

あの大戦で、自陣営のためならば共産ソ\連とも手を組んでみせ、他国の支配を「談合」する勢力の根幹をなす考え方と軌を一にするものであること、このことにまったく気づかず抜け落ちていること、・・誰にとっても明らかであるが、・・・その意義は、そんなものは政策や理念ではあり得ない、単なる戦術でしかない程度の主張でしかない、ということに思い至ることになる!!!

誰もが「自分本位であること」は、政策や理念や倫理や道義などではあり得ない、その先にどうあらんとするか、こそが課題であることは、論ずるまでないことだ!!

ところが、右翼保守の「識者」風の年配者達は、自国第一主義であればいいんだ、と云って、それでおしまいなのだ!!!

学のない我々「庶民」が、聞きたいと期待するのは、そのことである、・・が、その肝心なことになると何もない!!!

日本のながしかの「劣化」の現れの一つである!!