会社は「誰のもの」と問われて、・・・一見トートロジーのように見えても、たとえば、一旦出資したら、もはやその資金は出資者のものではない「会社のもの」である、という他愛ない意味では、会社は「会社のもの」だと云えば済むのに、・・・「株主のもの」だと主張する者達に対抗するに、「会社は「公器」だ」、というのは、答えになっているのかどうか、と何やら「ズレ」を感じざるを得ない一面があるように思われる! 「協議会」なるものがあるとのことで、そのHPをちょっと覗いてみたものの、ほとんど何も分からない!! 何となく、だが・・「私とは何」と問うて、「社会的存在」だ、と答えたとした場合の、その「感覚」と似ている!! 本当に問われているのは、「会社は誰のものか」ではなくて、ある「事業」は何のためにどのように遂行し、その事業にはだれが関与していて、その成果(これは単純に金銭的「利益」だけでない、「事業」を継続・持続すること自体である場合を含む、捉え方だと云っておこう、と思う)をどのようにするか、その意思決定を、関与している「誰何」がいったいどのように関与しているのか、と問う事であるはずだ、と思えてくる!! たとえば、原初出資者と株式「投資家」、創業者と経営者、事業自体の持続的展開と短期利益の稼得、・・・たしかに違うだろう、・・・、それをどう扱おうとする「資本主義」なのだろうか?・・・「公益資本主義」とは!!