なぜ、日本人は進取にとみ開明的だったのか?と問うことが可能\だと思う、・・・内製のオリジナルもさることながら、外製ものであっても単なる同化に止まらず、云ってみれば手早く「自前化」をしていく、そんな特有さがあるように思う、・・・他愛ない卑近な例だが話しを落とすつもりでいうのではない、・・暮れにクリスマスケーキを愉しんで間もなく神社に拝礼してその足でついでに隣の寺でも合掌する、しばらくするとなんぼ“義理”であってもチョコレートを贈り戴く、・・・いや、決して茶化して云うのではない・・・、なんという「こだわりのなさ」だろう!!! 雑種文化がどうこうなどというのではない 進取性や先進性や開明性とか、その根底には「こだわりのなさ」とでもいうべき特性が潜んでいるように思えてくる 親鸞がそう語ったと書かれていたように思う、何十\年も前のまだ書生の頃に歎異抄を覗いてみたときのどこまでも記憶だから精度はともかく・・・むろん、別段、信者などではない、・・昔は、坊さんとしてしか「知識人」の在り様がなかった時代だ、一宗派の教祖として興味があってのことではない、・・そのほとんどが、法然から教わったことであって自身の「はからい」で語るのではない、という姿勢に貫かれていたように思う 「念仏をいくら唱えても、うれしいなどという気分がちっとも湧いてこない、どうしてでしょうか、・・信心が足りず自分はなんぼダメなんでしょうか」という意味合いのことを訊ねられて、・・・「いや、あなたもそうか、もうそれは自分もまったく同じで、念仏唱えても早く“あちら“へ行きたい、などという気持ちは湧いてこない、・・・、そんな凡夫にすぎない自分はもう地獄行きは間違いない、そう思いなして、・・・しかし、それでいいんだ、・・阿弥陀さんはそういう者をこそ掬い取ろうと誓われたんだから、・・・そういう自然(じねん)のままでいいんだ」ということだったように記憶する ひと一人殺そうと思っても殺せるものじゃない、逆に、どれほど殺してはいけないと思っていても思いもかけず殺してしまうこともある、と!! ・・・およそ「はからい」という事を徹底して排除したところにまで行き着くしかないのが「信心」のあり方で、そうなれば、もはや、念仏も唱えようが唱えまいがどちらでもよい、という処にまで行く着くことになる! あの世?・・それはあるのかどうか、どのようなものか、凡夫には分からなくてむしろ当たり前で、 しかし、「この世」では「あるがままに生きよ、・・そうあるより外なく、それでいいんだ」と!! どのような信仰とも無縁だが、その坊主の姿をする他なかった昔の「知識人」として観てとるに値する9百年も千年も前の彼等から見出すべき「思想」は、・・・宗教というか信心を「この世」から解き放って「あの世のもの」とするところまで突き詰めたところにあるはずだ!!! 神やら仏やらを「この世」から「あの世」へ追い遣って、「この世」を「人の世」に押し広げてみせたのである!!! 「この世」は、等身大の「人の世」に他ならない、それ以外の何ものでもない、と突き詰めて画定してみせたのである!! 通常は、まったく逆に捉えて、・・・関わったことがないからよくは知らないが、・・・新興はむろんおよそあらゆる宗派の教祖や信者たち及び主義者たちは、その逆の、「歴史上の思索の果ての達成」を突き崩す「馬鹿げた妄想」を”折伏”をして廻っている(はずだ)!!! ・・・この世“ながら”にあの世を、と!!・・・当方は、そういう者達を、「逆立ちして歩く者」と呼んでいる!! 宗派や主義から解き放って「この世」を等身大の「人の世」にした「歴史の達成」に違背して、「宗教」や亜宗教の「主義」を「人の世」である「この世」の政治経済に持ち込んで、それを「解放」だ、などと「反動(歴史の破壊)」する者たちである!!!! このことの意義は・・・見掛け上は迂遠な事のようみえても、深く広く将来にまで波及するものだ! この世での「あるがまま」とは、何だろうか? ・・・仏でも神でもない、「何ということもない自身」一人ひとりが、謂わば「裸眼」で「この世」を観て感じて、「生業を営む」だけのことである! けれど却って、それだからこそ、自身の生活圏である村(あるいは国の)の政治も経済も、「この世限り」のこととして、決して「あの世の為め」なんぞでなく、自身の「自在」の在り様を「妨げない」枠組みとしてどのように築くのか、ということが「課題」であり得るのだ!!! 智能\も思考も、間違いなく世界的・歴史的にも最高水準だったに相違ない坊さんの姿をした日本の一時代の知識人たちには、「あるがまま」に到達した、その心の「自在」とでもいうべき、「自由」と云うのとは異なった、「何ものか」が感じられてならない!! 当方の餓鬼の頃の爺さん・婆さん達は、なにも百姓でなくとも、商売人であっても、朝起きると東に向かって朝日を浴びて手を合わせるのが普通の姿だったように想い起される、・・・なぜ、そうするのかと漠然と観ていただけだが、ただ「ありがたい」と感謝の念に身を浸す、という意味合いだった、と記憶する!!! あの知識人達が到達した「あるがまま」とよく合致する姿は、普通の「庶民」だったのである!!! 「庶民」の“こころ“に延々と歴々と住み着いていたのは、「仏」でも「神」でも「雲上の家」の者達でもなんでもない、まったくなかった、・・・卓上の、講壇の歴史とはまったく異なる姿をした生業の人達の歴史が、書かれることもなく、しかし、それが「いま」があり得ているその土台なのだ!!!