2016年11月7日月曜日

< 人口動向論・賃金単位・労働価値説 >

< 人口動向論・賃金単位・労働価値説 >
 いま、どの陣営の経済学者も政策提言者も、濃淡の差はあれ、経済成長の減退の主因に人口減を挙げない者は居ない、時間軸が長ければ長い程、大きな阻害要因だと云わない者は居ない
 それはきっと正しいだろう
 しかし、なぜそうなのかを原理にまで還元する者は一人としていないのではないか?

 それはたぶん、“経済価値“論があまりにも基礎的に過ぎて、ただただ煩わしく、報われることがない分野だからである

 けれども、ケインズが一般理論において賃金単位で雇用も利子も貨幣も語らざるを得なかったのが決して単なる便宜などではなかったこと、いまの論者が人口(といっても労働人口のことだろう)の動態を無視してはどうにも経済を語ることができなくなっていること、そのこと自体が、彼等の拠って立つ“理論”の基盤にある思想がどれほど労働価値説を忌避し否定してみても、全ての経済学は労働価値説であることを実証しているといってよい

 本来、経済価値を産むのは人の“開拓精神”から“創造力・創意工夫“そして“汗“まで含めた「労働」であって、それは自立した自由な精神に支えられて開花するものだ、という捉え方(原理論)だからである
 亜流が、労働をまるで特定階級の帰属物であるかのように、また労働をある種のエネルギーの放出ででもあるかのように、捻じ曲げていったのだ
 政治上の保守も革新も右も左も両方とも“特定の主義者”である点では共通であるために、当たり前のことが見えないだけである

 人口論には、とても危険な思想が忍び込む余地が非常に大きい・・かって価値を産みだし次世代を育んで来た者はやがて老いてもっぱら消費するだけになっていく、それは自然な事だ、・・・しかしそれが働かないで喰うだけ、と云う風に捻じ曲げられていくのだ、・・・すでにそのような捉え方を唱える(似非)経済学者が現われており普及し始めているといってよい

 価値創造と消費の基礎理論が、自由で自立した社会を良しとする“真正の保守“のためには必須で喫緊の思想・理論上の課題だ

 皆さんはどうお考えか?