2016年11月7日月曜日

< 「違う」と云わねば >

< 「違う」と云わねば >
 いま、各地の首長のその報酬の値下げ合戦での様相だ

でも、それは違う、まったく逆だ

 なぜ、一億人からの一国の首相の報酬が、民間事業会社の社長の数分の一どころか数十\分の一なのかね?
 なぜ、金融機関を統括し監督し国民の貨幣価値を守るべき日銀総裁の報酬が、一地方銀行の頭取・社長のそれに遠く及ばないのかね?
 なぜ、国民の将来の発展・安全・安心を目論み立法し、抗うことのできない権能\を行政に執行させる国会議員が、それがどんなに地方の庶民には高給であっても民間の大手事業会社ならば係長・課長の給与にも及ばない報酬でよいのかね?
 
 手のひら広げて5本指「これで」と双方了解した、と伝えられた角栄の贈収賄事件は、もう若い人は知らないだろう・・・そうでもしなければ賄えない権力闘争があったのだろう

 けれど、本来は、優秀な人材を吸引し、不透明なカネに手を出さずそんな事をしなくともよいだけの報酬を与え、もっと云えば勤め上げた時点で命を落としてもよい程の覚悟をさせる、それ程の報酬にすべきである

 政治活動費をめぐる不正や、滋賀選出自民株取引政治家枠議員や証券インサイダー仲間地方相やら、それらは今後も絶えることがないだろう・・・しかし、これらはむしろ政治家として選んではいけなかった個人的資質の問題が絡んでのことで、政治以前の話しだ   

混同してはいけない、いまどきの議論は「それは違う」というべきである

 どんな構\想を持し、どれほどの施策を打ち出し、何をしたか、こそが課題だ
そして、それにふさわしい活動のための十分な報酬を与えるべきである