2016年11月7日月曜日

< 払拭すべき固定観念 #4 >

< 払拭すべき固定観念 #4 >
 皆が、と云って構\わない程に多くの者が「逆立ちして歩く」ようになったのは、ケインズ一般理論の「解釈者」達からだ
以来、「経済政策」が「景気対策」に成り下がっていったのだ

 その点では、いまなお、ケインズ派だろうが反ケインズだろうがネオ何とかだろうが、まったく寸分の違いもない

 ちょうど、マルクスの解釈者達が、その本来の意義とはまったく異なる無縁の、反人間的抑圧勢力として跋扈するようになった、「倒錯」疾患と、その仕組みは異なることは無い

 後者は、延いてはその実態が人民の抑圧機関としての国家となり、資本論など読んだこともない共産党の官僚支配国家として国内抑圧と海外覇権を実力行使するまでに至っている現状のその悲惨な姿は、比較の対象とすることに違和を覚えさせるほど隔たったことのように思われるかもしれないが、国家規模での倒錯とういう点ではまったく同じで、その形態と悲惨さが異なるだけかもしれないのだ
 だからこそ、新興国の経済専門家はじめ一部先進国と呼ばれる政策担当者のなかにも、共産中国の在り様を積極的に容認する者すら現れるようになってきているのだ


大仰と云われるかもしれないから、身近に戻ろう・・・・、

 道も橋も港も、「景気対策」として生み出され造られたものなんかじゃない、生き死にを掛けた生活の歴史の産物だ
 いま観光用に仕立てられる○○遺産の類は、将来性を欠いた過去の遺産にしがみつくものだ、・・・その元は新規の「アニマルスピリッツ」から産まれたものだろう、・・・まったくその元々の精神に違背するものだ
こういえば、逆立ちして歩いていることに少しは気付くだろう

 いま、政権党の「対策」が、何とも“薄っぺら“で消費も投資も喚起することなく終わるのはなぜか?
と問うてみるべきだ、逆立ちしているが故に、その足元が中空でしかない事を