2018年6月7日木曜日

< 情況 >

「上に政策あり、下に対策あり」と中国にはそんな俗諺があるのだそうだ、・・・いつごろからか、いまも口にされているのか、その普及の度合いはむろん、どんな情況で使われるのかまでは、そのニュウアンスまでは知らないが、・・・しかし、お上が決めたことにどんなに不都合があっても、それはそれで遣り過ごす手立てがあるものだ、・・・お上が何をしようと「平民」はそうやって生きていくものだ、という「感じ」がどうしよもなく伝わってくる!!
 「お上」が、軍閥だろうが共産党だろうが、きっと変わらないのだろう、と!!!

 ついでながらに、中国人との仕事では、彼等は「自分はこんなに仕事をしてます、こんなに業績を挙げてます」「いま、こんなに受注の可能\な事案があります(実はないのだが)」と声高に語ることが普通で、「制度」上の課題が生ずると「心配いらない、大丈夫、奥の手あります、・・・」と、・・・「アンダーザテーブルの類の日本での規範に反することはするな」と釘をさす必要がある場面に出くわすのが「普通」であった、・・・むろん、結構\幅のある個人差があることだろうし、総じての印象にすぎないが!!

けれど、そのような世界はとてもかなわん、という思いのまま、・・・ところで「上に政策がある」とは?と、少し立ち止まって、・・・では日本には?と振り返ってみると、・・・その途端になんと、「対策」は中国ではもっぱら「下」が行うものであるそうだが、「政策」はどこに・・・、「上」に「対策」はありそうだが、それさえ十\分にしているのか、という思いが一挙に湧いてくるではないか・・・・!!!!


憲法論議に見られる、「国語」を損なうことのそのどうしよもない反歴史・反伝統・反理性の甚大な意義を感じ取ることのできない、その「長」とその周辺に纏わり付いている「お伺い連中」と、「さくら」を冠するたくさんある右翼保守集団のその支持者達には、政策と対策の違いも分からないだろうが・・・!!!

「声」も「実力」の手も挙げない、がしかし、「人心の離反」を以って、必ずその意思を示して見せる「庶民」が多数であることが露わになる時が来るだろう!!!!!