2018年6月7日木曜日

< 眉唾 2? 労働と労働力 >

R・フェルドマンは、<安倍政権は「危機」局面に突入>と題し、7つの「具体的に必要な改革」が必要だ、という・・・
  1)労働市場改革の仕切り直し、
2)規制改革と民営化の加速、
3)審議会の少数精鋭化など合理的な政策決定システムの再構\築、
4)政策決定・運用プロセスの透明性向上策、
5)より大胆な法人減税、
6)予\算支出の再配分、
7)内閣改造後の経済優先姿勢  を挙げた上で、
『・・・特に重要なのは労働市場改革だ。なぜかと言えば、労働市場の硬直性が日本経済の潜在成長力 を損ねている大きな要因であり、・・
『・・・とりわけ問題視しているのは、労働市場の既得権益側であるインサイダー(大企業の正社員)と、その外側にいるアウトサイダー(中小企業の正社員、企業規模にかかわらず全ての非正規社員)の二重構\造だ。・・
『この点を改革し、柔軟かつ効率的な労働市場を作り上げるためには、主に2つのアクションが必要だ
第1に、正社員解雇に関する透明性のある公正な金銭的解決ルールを整備すること。
第2に、ホワイトカラー労働者を、労働時間規制の適用から除外することだ(ホワイトカラー・エグゼンプション制度)・・・略』

(2)7つ改革は、例の「12のゼロ」同様その軽重や優先度にどんな基準があるのかさっぱり分からない、が・・労働市場について挙げる二点の理由や効果については、以下のようだ。・・・
第一については、
『・・・公正かつ透明性の高いルールの下、解雇の際に一定額の補償金を支払う法的義務を企業側に負わせ、そのうえで正社員労働市場の流動性を高め』ること、これによって、『労働市場全体では、正社員雇用は増え、非正規雇用は減り、賃金にも上昇圧力がかかりやすくなるはずだ』
 なぜならば、
『労働時間制の強化を進めるだけでは、企業側は正社員雇用に関する負担増だけを背負い込むことになり(新規制対応のソ\フトウェア整備だけでも膨大な金額に上る)、正社員雇用意欲は削がれる可能\性がある。その結果、非正規雇用が増えれば、賃金には低下圧力がかかる。』
第二のホワイトカラー・エグゼンプションは、
『・・・労働市場の柔軟性を高めるだけでなく、大きな社会問題となっている長時間労働への合理的な解決策にもなり得る。
 労働時間と成果が直接結びつかない仕事は増えている。ホワイトカラーを労働時間規制から解き放てば、逆に短い労働時間でたくさん稼ぐインセンティブが高まるはずだ。それが、技術革新を背景に経済のサービス化、ソ\フト化が進んだ時代に適した働き方でもあるし、ひいては日本企業の国際競争力にも資することになろう。・・・ もちろん、ホワイトカラー・エグゼンプション制度導入で、長時間労働が必要になるケースも考えられる。ただし、管理監督の強化は主に公的機関の陣容拡大によってではなく、各企業の内部通報システム整備など民間側の取り組みによって実現されるべきだろう。』(部分;ロバート・フェルドマン ロイター 8/3)

(3) しかしながら、この論者の言は、一見理路整然としているかに見えるが、竹中や伊藤と酷似して、卓上講座経済学に塗れたものである!!

?この論者の「労働」観は、引き千切ったり混ぜ込んだりが自在なスライム同然、まるで粘土細工のようだ!!!!

なによりも、「労働」と「労働力」とが無分別の、「市場」においては「労働力」として現われる「生身の人間」とを未分化の曖昧なまましておいて、卓上講壇経済学の旧い伝統の固定観念のままである!!

? 大・小の従業員待遇較差も下請け小企業との二重構\造も、敗戦後の復興期の昔から高成長期にかけた時期から既にあったはずだ、・・・臨時工のように非正規も景況予\想に基づく生産計画に合わせて数か月単位で人員調整する仕組みは一部製造業には高成長の渦中の時期からあったたずだ・・・その産業分野の拡がり度合いはともかくも・・・、昔からあった!

その頃はどうであったか、・・・
 休日は、日曜日だけであった、平日の残業もたくさんあった、・・・過労死云々と訴求もせず働いてきた、・・・しかし、その「抬頭する日本」を観てすかさず、欧米のメディアは、「ウサギ小屋」に棲みながら世界中に商品を売り歩く「エコノミック・アニマル」、だと蔑んでみせて叩いた来たのである!!
 法的な「規制」をしなければ、「欧米並み」になれない、と!!
 欧米メディアの伝書鳩である国内メディアと「識者」は、尻馬に乗って、我が国日本がどんなに「遅れているか」と叩いて、喧伝してきたのである!!!
 それは、一面では、本来「主義」と関わりのない、働く者を大事にするという通常の健全な観念と一体となって、それは受容れられ易い一面があったにしても!

 経済的な仕組みとしての非正規は、こういう歴史の中で規制逃れや固定費としての人件費の流動費化とでもいうべき、抜け穴として、一部業種からソ\フト化の造語とともに拡散して来たもの、といえる面があるだろう!!

 ところが、である!!
平均的な所得(本来は「可処分」の額こそが大切なのだが、その点は語られることがまったくなく分からないのが常々不可思議で残念に思うが)がそこそこになったら一転して、・・・「労働時間規制などして、なんと遅れていることか」、というのだ!・・・「競争」の別名である、経済学上の「自然」(政治上は「自由」と言い換えられる)にゆだねよ、と!!

?「労働」は「労働力」とは別個の概念だ、・・・しかも、「市場」では、「人」は「労働力」としか映らない、とは「主義」とか「理論」とかとは無縁の最低限の「分別」である!!

それは、・・・機械で「さえ」も、メンテナンスしなければ、その本来の経済力を発揮しない、建屋で「さえ」も、建設したそのときから雨風に晒され劣化していくなかで、「もの」よりも粗末に扱われているのだ!! 
・・・
まして、「生身の人間」は、考え、家を営み、自身の将来だけでない子と社会の将来まで考え活動する、・・しかもそれを、「自身の裁量」で!!!・・・そのような存在が、粘土細工のように、引き離したりくっつけたりと、雇い主である「企業」の「自由」であるわけがない!!

「自由」というよりも、「自在」を当方は貴ぶものだが、「労働力」として現われる「生身の人間」に限っては、「法的な加護」というべき「法的な規制」が必須なのだ!!!

そうしなければ「存続」できない貴重「品」なのである・・・「もの」化した表\現でまったく不本意だが(しかし、ここでは経済学がそのように扱っている事実に倣っておく他ほない)

 解雇手当を支払いさえすれば、粘土細工のように扱って構\わない、とする「誤謬」に囚われた者達には、この論者たちは、ただ一つ、「固定費としての人件費の流動費化」より外には、その実、何も論じていない、・・かれらの主張は、これより外には、何もない!!!

? 唖然とするのは、『・・・ホワイトカラー・エグゼンプション制度導入で、長時間労働が必要になるケースも考えられる。ただし、管理監督の強化は主に公的機関の陣容拡大によってではなく、各企業の内部通報システム整備など民間側の取り組みによって実現されるべきだろう』というのだ、・・・!!

バカな事を!!・・・「各企業の内部通報システム」が「管理監督の強化」の策ではあり得ない事は、日々その「各企業」があらゆる場面で「実証」していることで、・・・語るに落ちる、とはこのことである!!!

(4)雇用責任
この論者たちには、大切な論点が欠落している!!

銀行は、「貸し手責任」ということをいう、・・・経験者も居られよう、・・・融資案件のお断りの際の彼らの常套句である!
・・「貸さない」と直裁に言わないで、「貸手責任を負わされているので私どもでは何とも・・」と持って回って、含み笑いをして見せる場面に会われた方も居られよう!!

けれど、誰一人として「企業の雇用責任」とは口にしない、・・・それどころか、早期退職させ人件費削減をしただけの者を名経営者と称える「経済誌」とそれに乗っかる識者と評論家の「幇間」とその後会長・相談役になっていく「経営者」は少なくない!!!


現実・実態から遊離した卓上の「学」と「思い付き」と「歴史」の欠如からは、大切にすべき「人」を損ない、従って「将来」という「潜在の展望」を毀損する、噴飯の策しか出て来ないのだ!!


「こんな者」達に、日本の将来を「ひっかき回され」て堪るものか!!!