2019年10月19日土曜日

< いけないのは、・・・ >

< いけないのは、・・・ >
「役所」ではない、・・・職務に忠実であることを求めかつ求められ、ただコナシテいるだけである。
まして、・・個々の役人はさまざま、親共産や親立民もいる、親半島も親共産党中国もいる、反共産で親自民も居れば反共産で反自民もいるだろうが、…「役所」としては、・・・入るを図って出ずるを制するのは、別段間違っていない、一時の借金で賄う「出」がその時の「入り」を上回ってもヨシとするのは、当然にその後に利息を払って元金も返済できる「入り」の見込みを企てて約定し、場合によっては「確からしいカタ」を差し出すからである。・・・政府もそれから免れているわけでない。
家計と政府は別だと言うが、それは一面的に過ぎて肯定も否定もできる嘘話しで、政府がその強制通用力を「持つ」自国政府紙幣を以ってして徴税も不要で永遠に借り換えられる(某評論家)、というのは、「入り」を図る要はないというに同等で、それらは、その強制通用力が一体何によって立つものか、自国通貨建てであり得ているのはなぜか、確からしい「かた」としての資産が本当に将来日本のための価値創造のための資産であり得ているか、を思えば「通念」の方が真っ当で、政府が借金からfreeでないこともすぐ分かる。

彼等「役所」ができるだけ単年度で入りと出をどうにかしようというのは、「職務」に忠実だからに過ぎない、・・・それがマズイことだとなれば、分かってないな、と云われ叩かれるべきは、「役所」でなくて、「長期の構\想」に従うことが職務だ、とその忠実であるべき「職務」自体を変えようとしてこなかった「政治家」の方である、簡単でないにしても・・・立法の権力があるにもかかわらず!!

世間とは掛け離れた、労働力の「数」の問題にしてしまって課題にせよ、錯誤に満ちているようである。

評論家屋山太郎は、こう開陳している・・・
『・・・1号も2号もそれぞれ5年の滞在許可が与えられるが、この人達はあくまでも労働者であって「移民」ではないと、安倍首相は強弁している。
しかし、10年住んだ日本で結婚もし、子供もいるような家族を元の出身国に強制送還できるのか。
・・・
 日本とドイツは言語の壁が高くて、留学生も少ないし学生がそのまま居つく率は僅かだ。日本語を普及させようと、「日本語教師」の資格を公的に設けようという。どうやら政府は外国人の雇用によって、人手不足を乗り切る決心をしたようだが、こういう姑息なやり方では、“国家造り”を誤ってしまう。
・・・
 スイスの移民管理の特徴は、窃盗や薬物で有罪の判決が下ったらアウト。直ちに国外追放である。モラルというものは、こんな小さな罰則によって、確立されるものらしい。日本では不正をほったらかし過ぎる。』(部分;11/14 静岡新聞・論壇)

彼は、「優良な移民だと認定したら、いつでも“日本人”になれるというルールを確立すべきだ」という立場らしく、…いったい「優良」を誰がどうやって認定するのかその他よく分からない点が多いものの、…他の右翼保守が顔を向ける方角とは異なるようで、同調するかどうかどうかはまったく別にして、・・・・・いまの安倍政府の「やり方」は「姑息」だと、珍しく文句を垂れている!!

 そういえば、ほんの数年前仏の町の一角で暴\動騒ぎが結構\な期間続いた事件があったが、既に不明者が数千人超にも上るという実態さえロクざま知らされることもなく経過してきて、何の手当てもしてこなかった事態の是正をこれ以上放置するわけにはいかない、とは当然の措置ではあっても、・・・その間、マスメディアもジャーナルも評論家も、殊更に課題として取り上げることがあったとは思われない、随分と「釈然としない」迂闊さではないか、と思わせる中で・・・「支持者」でさえ議論すべきことがたくさんある、と訴えていることの表\われとすれば、・・・そういう「世間」を軽く見て進めればどうなるか、に思いを致すべき(だろう)局面なのだと受け取られる。

支持者たちもようやく気付き始めたのだ!・・・そして、左の連中はその「自壊」を待つゆとりを見せ始めている。