< まるで > 右翼保守と左翼は戦後の戦前と戦中のようだ、・・・でっち上げた戦果を喧伝してきたマスメディアは、左に座り直しただけで、「今」まったく同じことを繰り返し、「戦後の戦中」を生きている、・・・一人の頭目を押し立てる右翼保守は、その意に反する言動をみて、戸惑いの果てに、「君側の奸」探しをし始めて、「戦後の戦前」を追体験しているかのようだ。 つい2か月前には、その党内の議員支持者の数を誇っていたのに、「党内基盤が弱く、国内問題ではその意が通せない」と嘆いてみせて、「取り巻きが大したことがないため」に、総理の意とは異なる政策が打ち出されているのだ、と右翼支持者は言いはじめているのだ、・・・外交と違って、・・・「あいつ」と「こいつ」が国内の事は取り仕切っていて、と!!! 少し立ち止まれば、その外交も、これまで「どれほどのものだったか」まったくの「不明」で、今後も左はむろん右の者達が願っているあるいは「想定したがっている」ような事態にはならない、・・だろう、そして国内マターの「あいつとこいつ」に、「外交」上の「あいつとこいつ」探しが始まるだろう。 戦後にありながら、その戦中と戦前を生きている者達が、政治の中枢に関わろうとしている、・・・けれど、「庶民」にしか宿らない「真正の保守」は、そんなものは脇目に、「自律・自存」の長期の日本の将来図を描き施策する者をそっとじっと見極めながら、「自在な暮らし」を求めて淡々と生活している。・・・その意志を表\示するときは遠くはない。