2019年10月19日土曜日

< 「姑息だ」からさらに >

< 「姑息だ」からさらに >
「支持者」とみなされてきた者がコゾッて、首を傾げて、異論・異議を唱えている、・・・
国内の将来に亘る重大な課題に、余りにも時間と労力を掛けることなく、通り過ぎようとするからである!!!

屋山太郎は、「姑息だ」と言ったものの、いくつかの思い付きを述べて、実態の一部の容認と一部の否認を薦めている、・・・実質は、その支持者でさえ、反対に回っている、・・・それほどに、軽くあしらって済むものではないことの表\われだろう!!

『…経済界が人手不足を補うために外国人労働者を受け入れたがっているのはよくわかる。しかし法務省の調査結果によると、入国して働いた実習生のうち、7割弱が「低賃金」で“逃亡”したという。月給について半数以上が「10万円以下」が実態のようだ。このレベルの企業だと日本人の応募があるわけがない。外国人に頼ろうと思うのは経営者の常識だが、社会常識ではこのレベルの産業は見切った方がいいということだ。職業の実地訓練となり、送り出し国が喜んでいるという意見があるが、役に立つ訓練なら訓練事業として存続させたらどうか。
・・・
日本のように産業の一翼を担わせる実習生や移民制度はやめた方がよい。趣味や勉強をする人を優先的に入国させ、金銭的補助をしてもよい。ただしこれまでの実績から見て、中国人南北朝鮮人を優遇することだけは避けたほうがいい。これは人種偏見によって言うのではない。彼らは戦後の日本の歴史に虚偽の事実をなすり付け、自らが常に優越的立場に立とうとしている。この病気は治らないから、渡航に厳しい条件を付けよ。在日系は2代以上は帰化するか、帰国してもらう。在日中国人は既に70万人に達しており、政治に影響を与える単位になっている。』
(11/28付 静岡新聞『論壇』部分)
いくら左翼メディアの煽動があったとはいえ、その契機となる軽挙といってよい言動があったことは間違いないのである、・・それによって、どれほど本来の議論に振り向けるべき国会の「時間」を奪われて来たことか、…などまったく頓着ない、・・・その時間を奪われたことは事実である。

外国人労働者受け入れを巡る重大課題に時間を掛けることは「いま」出来る事である、・・その「出来る事」は「やらない」のである!!!
そして、方や、憲法改訂はすべき事だが、誰ひとり「いま」出来る事とはみなしていない(だろう)ことは「やる」と云って、実際は「出来ない」のである!!

衆議院議長は、「政権のやり口」に憤怒の念を込めた見識を示しているようである、・・・法案が通過した後の措置ではどれほどの事かとはいえ!!!


「言論」を軽んじているうちに、「言論ではダメだ」となって行く「過程」を呼び込むことになる、という「民」に対する「畏れ」はおろか「怖れ」を微塵も自覚していない、と見受ける!!!

そうして社会の存立の基盤を知らずしらずに突き崩していくのだ!!!