2017年8月30日水曜日

< 賢そうだが、それで? >

< 賢そうだが、それで? >
 元外交官や元学者あるいは記者上がりの評論が、一見もっともらしいが半歩退けば呆れてしまうほどばかばかしいのは、なぜだろうか?・・・と問うてみると、前提自体の分析がほとんど抜け落ちていることに思い至る。
 左翼だろうが保守右翼だろうが、ほぼ例外なく、自身が「こうあって欲しい」と思っていることそれだけが唯一の前提なのだ。
 その上で、それに適合する材料だけを取り出して論評しているからである。

 世界中を飛び回ってきたとしても、多くの見聞をいくらしても、ロックフェラーの陰謀にしか見えない元外交官評論や、欧州の思想哲学者の引用と欧米語の語源論評の繰り返しばかりで、「で、どないするんや」と問うと何もないのである。
 あるいは、地球外生物かと思わせる野党の「愚鈍」を論えば、当然に現政権を自然と持ち上げることになる、という手法で祭り上げている権力者擦り寄りの記者上がりもいる。

・・・標語だけ猿真似して「ジャパンファーストでやればよい」とオッシャルのだが、・・・
 そもそもが、三大核覇権(談合)国連中が、「なぜ、米国ファーストや、共産中国ファーストであり得ているのか?」という初歩的・基本的・根底的な「問い」がまったく欠落し「前提」そのものが吹き飛んでしまっていることに気付かない、そういう右翼保守の迷妄が、欧米報道伝書鳩の地デジ等メジャー報道の対極に、結構\普及しているかに見受けるが、・・・・・でもほんの数秒でも立ち止まって、
「なぜ?」
「ホンマか?その証跡はナンなんや、見せてみ?」
「で、あんたならどないするんや?」と、ただただ手持ちの常識で見返してみれば、いずれも賢そうにみえるだけで、「庶民」が本当に知りたいと思っている事柄に届くことはなくまた納得せしめる内実を伴っていないことが、明白となるのだ!!!