2018年11月14日水曜日

< なぜ、何を以って変えたのか >

< なぜ、何を以って変えたのか >
『 韓国の文在寅大統領が演じた米国と北朝鮮との橋渡しの試みは、まさに無駄花に終わった』(2/28)と断じていた者が、こう言う、・・
『 ・・・6月12日シンガポールでの米朝首脳会談が決まったということは、核廃絶に至る手順や監視体制、ミサイル廃棄の方法など、大よその方法が煮詰まったということだろう。リビア方式は生物化学兵器など、あらゆる武器を米国に持って行って処理するやり方だが、北朝鮮のは規模が大きすぎて適用できないという。金正恩氏はもはや元に戻れない時点に来ているから、米外交の大成功は間近だ。ここまできたのはいつでも棍棒を使うぞという脅しが効いたからだ。・・・』(5/16 論壇 屋山)

何を材料・根拠に、なぜ前言を翻したのか!?!
むろん、変えたって構\わない・・・変わらなければ、生きていけないことは極く日常的な事だ。
 誰であっても、きっとこうなるのでは、という思いを抱きながら、自身の裁量の及ばない事象について、期待や失望や落胆や希望を感じ取っているものだが、大概は思い掛けない事態を迎えることが多いと心得ているものであろう、・・・そのとき、以前はこんな風に考え、思い、こんな物言いをしたが、それとは異なる経過ないし結果となった、ということは、ごく普通であろう!!!

しかし、・・・「どうなるか分からない」ものの、けっして「無駄」とはならない、と思わせるのは、北がどうでようとも、「核を持たせない」という意志が貫かれるか否か、を巡って、三大核覇権大国がどのように対処するかがアカラサマになるという「経過」と「結果」を見ることができる可能\性が迫って来ている、と期待させるからである、・・・そのように、少なくない人達が感じ取っていたのではないか!

このことからすれば、公言することのできる立場に居る者達は、推察や憶測を交えざるを得ない事案について語る必要がある場合(現実はほとんどがそうであろう)は、やはり面倒でも、根拠や材料やを示し、推測ならその旨を断り、異なる経緯や結果となれば、その「なぜか」を語り、・・・と知的な誠実をいささかでも示すべきである!!!


ところが、マスメディアに顔を出して、たぶん知ったかぶりや分かった「振り」で、「評論」する連中は、学者も評論家も政治家もコメンテーターもタレントも、要は識者は、左翼に限らず、右翼保守も、ほんの数週間、数か月前に、公の場で口にしたことなど、どこ吹く風だ、・・・そういえば、自民のコイズミも「公約?そんなもの・・」と平気で語り、メディアも「そんな」者を「はやし」て、政治家も靡いて、どこ吹く風であった、・・・そしていま、さらに、また舞い戻っている程である!!


北どころかその半島の核を否認すれば、日本のそれはどのように正当とするのか?・・右翼保守は応えてみせなければならない、・・・なぜ、「北の核を否定する右翼保守が日本の核武装を主張し、かつ同時に、日本の核を否認する左翼が共産中国と北の核を容認または黙認するのか」、と「識者」とマスメディアは「問い」かつ「答える」という「思想」を示さないのか?!!!

自身では展開できないその「思想」を、日常の生活の合間に、「識者」やメディアから教示して貰うことをこそ期待している「庶民」がけっして少なくない筈だと思われるのだが・・・