2017年5月4日木曜日

< 悲しくて恥ずかしい心情 >

ただただ家族の将来の安寧を願って生活している「庶民」の姿は何処も同じはずで異なることは無いだろうと思われるところ、「国」や「民族」で括られる姿とはけっして同一視できるものではないし、してはならないだろう。

 でも、自身のトップを引きずり落として、その事由を省みるとき、「万歳」と悦び叫ぶだろうか?
とてもではない、「国」として悲しく恥ずかしい姿に、暗澹としこそすれ!!??

 対日批判はその「事実」をめぐって絶えることなく継続し続けるだろう、そのこと自体を日本の主権を及ぼすことのできない他国の場で抑え込むことなどできはしない、けれど、自身の謂わば無力だった歴史への「怒り」を、その国外の世界中に「像」を建てることで晴らす心情はこれまた別格で、その心情は、前近代・前時代の政治手法(怪しげなイタコに判断を求めるなどという、それが事実ならば・・)を数年にわたり放置した上で一転して叩きのめし、それを万歳と叫ぶ心情と、同期(シンクロ)しているとしか思われない。

翻って、自身とこの国は、果たしてそのような悲しく恥ずかしい貧しい思想に陥ることはないのか?!!

もう既に、尖閣周辺は日本の漁民がとても「恐ろしくて」近づくことができない状況にある、と伝えられている、・・・無力で何よりも「無為」の歴史を創って、後々ただ恨み節を唱えるだけの国や民族に成り下がるのか?!!