2017年5月4日木曜日

< 次の準備を ver.2 >

一ヵ月ほど前に、いまならさしずめA氏(A,B,C・・のA)の方が望ましいのでは、その準備をすべきでは、と触れた(20160127)。

 いま、一新聞が支持率66%だと報じている中でも、その“思い”に変りがない。
・・・なぜ、なのか?・・・交代なぞ決して望んではいない筈なのに、なぜこんな“思い“が湧いてくるのか?・・と想いを巡らすのだが、・・いったい何をしたんだろう、何が成し遂げられたのか、成し遂げられないまでも何が進みつつあるのか、それが一向に判然としないことより外に思い至らない。

たしかに、二度とあってはならない民主政権の経済・軍事・外交のデタラメが糺され、かつ一部が正された、これを否定する者など居ない、真っ当ならば。けれど・・・。

いま“ポスト安倍は安倍”と云っている自民の偉いサン達、評論家、マスメディアなどは、その自身の身を守るためには“少し”ずつ、修正し始め、遠からず、次は誰に付くべきかを話題にし始めるだろう。

IやK(A,B,C・・の)では、また元の黙阿弥、・・・それは止めてほしい、が、・・そういえばA氏も複数居るな・・。

準備とは、どういうことか?
国会で議論すべき事案が、いまくだらなさ過ぎるなかで、もっと日本の将来の基となる根幹についての質疑応答をすることが、それが自然に“次“を炙り出し準備することに直結している筈だと、庶民は願っているのだ。