2020年9月27日日曜日

『・・・「政府が財政破綻しないというのならば、政府が税金で財源を確保する必要はないというのか」と思われるかもしれない。

 <転び逝く者達 v2>

『・・・「政府が財政破綻しないというのならば、政府が税金で財源を確保する必要はないというのか」と思われるかもしれない。実は、そのとおりなのである。
 ほとんど理解されていないことであるが、租税とは、政府の財源確保の手段ではない。「現代貨幣理論(Modern Monetary Theory)」が教えるように、租税とは、国民経済に影響を与え、物価水準、雇用水準、金利水準あるいは富の再分配を操作するためのマクロ経済政策の手段なのである。』
(部分;?財政赤字の拡大?は政府が今やるべきことか 日本の20年にも及ぶ長期停滞の真因 中野剛志 東洋経済20170328)

貨幣についてのどんどんと“横滑り”していく、“世間”ではそれを“しどろもどろ”というのだが、話しにせよ、このトートロジーと倒錯に彩られた、租税の本来の“意義”の欠落をよく表した“もの言い”をする者達が、その本来拠って立つべき保塁を自ら突き崩して、たとえば、真偽はともかくも、いまやその勢いに乗るか否か迫られているかのようにマス・メディアが伝えている元タレ集団の支柱で沖縄デニーを応援するマル経学者mの(・・・「民主主義を救う」と唱えてさえいる当人には関係ないが、・・・この者の師匠だとされる学者故Oは、スッカリ忘れていたが思い出した、むかし海外向け英文論文には国内向けの註釈を省いて自身のみが唱える独自の「論」であるかのように装うインチキ臭を放っていたハズだ)“かの論“とすこぶる“よく似た”(・・いやむしろ、“自国通貨であれば破綻などない”と、もう数年前から国内の誰よりもいち早くパクっていたかと思わせる程の)“何でもアリ“の「論」(それは、安倍を倒すための策、と謳われて何でもアリだ)をはじめとして、終局は反社や反人を事とする左翼および左傾集団の「者達」に対してであっても、如何に容易に“同化”していくものか(マル経学者mの、安倍を倒す策でありさえすれば何でもアリ、と親和的なのは、「動機」が一致するからである)!!
 いまそれは、野党と呼ばれる集団に属する似非保守崩れの容共政治家だけでない、保守を称する集団にも居ついている!

“貨幣も国債も政府の債務だ、政府は貨幣を無から創り出す、いくらでも入手可能で財源がなくて政策が打てないなんてことは無い、税は財源調達のためなんかじゃない、貨幣が流通するのは課税による、その価値は納税義務が保証している、・・・むしろ、制約は実体経済の方だ、・・・消費税は望ましくない”等々と、・・・
“左前になったギリシャは自国通貨を捨ててユーロを使うようになったから“、ともいう(これはウソ話し、自国通貨を「捨て」てユーロ採用はギリシャだけでない、社会主義者仏哲学者の思惑如何はどうであったか別にして、euが実質新ドイツ覇権の“比較優位“を固定化する結果を産む仕組みだからである、”だぶん“)、そんなところだ、・・・だが、すでにこれらに、その事実(現象)を捉える“構え方“自体のその「倒錯」性が表れている!
・・・“お札を刷る“とはカネを“お足“と譬える程度の謂わば“普段着の物言い“に過ぎないものを、それをわざわざ新知見かのように力こぶを入れて、貨幣供給は銀行券を「印刷」することなんかじゃないんだ、「通俗」だな、「キーボード入力」するだけのことで制約なんてないんだ、と教化に努めるのはむしろ、カネに”足“なんて生えていないんだ、バカだな、「通俗」で「理解されていない」、とでも言い募る姿が思い浮んでくる、・・・それはそうだ、たしかにカネに足なんてない、それは「事実」(現象)だ、・・・借金で調達したカネは一旦預金(資産)しておくについては、インクペンで記帳するかキーボードを叩くかの違いはあっても、昔から預金は、アナログだろうがディジタルだろうが、「輪転機で印刷」なんかじゃない、そう「記録」しておくに過ぎない、その預金を何事かの支払いに充てればカネ以外の資産か役務サービスの受給に振り替わり、受け取った側の者の「預金」(資産)として「記録」される・・・それはそうだ、「事実」(現象)だ、・・どれも経済活動の”現場の一作業”だ、・・・、ただ、それだけのことだ!!
 ・・・いやいや、そうだそれはやはり、足が生えたと“ひとこと“で済むことに過ぎない!

 むろん、それが、民間において信用創造するに至る活動として持続して展開されるまでに至るかどうかは、まったく別事である!!

 だが、戦前の恐慌時だけでないこの戦後の金兌換を断たれた以後の“現代”であっても、「ほとんど知られていないことだが」、「印刷」なんてされたことなど無い預金を銀行窓口にお札を積んで「見せ」ないといけない事態が地方で起きたことが実際にあった、たとえ裏面が真っ白であっても!・・・それはしかし、大衆が”紙“フェチの「通俗」だからではない、民間の事象で政府のそれでないからでもない、そもそもその「信用」は「政府が」強制して支えているからでもない!!! 
貨幣(債務)の相手勘定の「資産」が、資産(将来の価値を、キャッシュフローを産む資(たづき))たり得ているだろう(たぶん)と“信じている“からである、確証がないままであっても、・・・いまのところ!!

その資産性の本質と信用の根源は、民間だろうが政府だろうが免れることなどないからである!!

いまその、政治家の方が、学者や評論家“もどき”の教化に一所懸命となり、なかには消費税2%アップ採択時になぜ反対と云わなかったかと元職に問われ、政務官で消費税につき何か言う立場になかったと嗤うべき逃げ口上し、「打出の小槌があるのに」と声高に唱える某代議士、・・・その一方の学者は、評論家然として、昨日まで“ご一緒”していた政治家連中に向かって、ラジオでネットで、その個人名を挙げて、“アホちゃう”(関西弁)と 公共の場で“罵倒“して廻っている!・・・これまで拠って立っていた足場を失った者達が、いずれもその本務を忘れて!!
 まるで、会社帰りの”大衆“であればこそ、そこでは何をしゃべっても何をしても大概の所作が許される、おだを上げ溜飲を下げる喧噪が許される“大衆酒場”が、赤絨緞と講堂と電波公共に“屋台”でも出すに至ったかのような、惨めな光景だ!

 租税が、マクロ経済政策の「手段」と云ってそれで終るのは「抽象」が足りないからである、なぜ、その手段たり得るのか、と問うた途端に、租税の「意義」が充足されていないという真っ当な少なくとも”感じ”がすぐに湧き上がってくる!

 必要な財政支出に賛同しない者など居りはしないのに、その「何」をするのかの「肝心」が寄せ集めの旧聞材料ばかりで、・・・ 他人の「論」を担いで持って回るばかりの提灯持ちの、しかも副次的な手段話しばかりで、左傾集団を背後にした(彼等は、自分から他の者にすり寄ることは絶対にしない、必要としていない、自身で活動して廻るに何らの不都合などない、むしろ他の者から擦り寄るようにさせる者達である)元タレの口達者の、これが問題あれが問題、で即止めます、あれをやります、これやりますのその「具体」に、拍手喝さいの「通俗」の「大衆」と同様に、彼等を惹き付けるのでなくまったく逆に、“人気者”にアヤカるために挙って擦り寄る左翼集団とともに、拠り所を失って秋波を送って寄り掛かっていく「既成」の姿でしかないがために、・・・党派性に絡め取られた者達(それらが政治上一勢力を張るに至る事態は可能性としてない、などとは誰にも言えない、あの民主党政権類似で!!・・ただ、それはまた別問題)以外には、誰も、何も、惹き付けられるところがない!!!

「思想」こそが大事なのに、単なる技術論だけで“右も左もない“などと、自在を失って、左傾集団に同化し墜ちていく!!