2020年9月27日日曜日

「納税」するのは、「租税」が物価・雇用・金利の水準や富の再配分の「手段」“だから”ではない

 「納税」するのは、「租税」が物価・雇用・金利の水準や富の再配分の「手段」“だから”ではない、まして、「国民経済に影響を与え」ることは、むしろ、なにも特定の宗旨の「理論」を持ち出すほどのことでもない、・・・少しでも立ち止まって“平民”(ただの生活者)に還れば、自明の事!

なかには、・・・打出の小槌がある、などと!!・・・「誰が」その「小槌」を打つんだね、「何のため」に打つんだね、・・・一体それを「誰が」決めるんだね!!・・・“永遠に借り換え”租税なんて要らないと、・・そもそも、その果てに齎される、それによって成り立つ「世界」とはどんなものだね!!

それにつけても、「国家」の資金調達と運営の技術論(子孫にツケを残す、いや永遠に借り替えられる、いやハイパーになる、なにハイパーになれば増税して、…等々という、各陣営共々の、堂々巡りの、表層すべりをみよ!)に堕した話しばかりだ!

 立ち向かうべき「課題」がまったく異なる!!!

 「徴税」せずとも、生活基盤を、たぶんそのほとんどを「国」で賄っている王族だか独裁国もあり得るし、実際あり得ただろう、・・・いや、徴税せずとも済む「事由」が異なる、と、・・・けれども行き着く「終局」は同じことだ、・・・「お恵み」なのだ!、・・・そんな「社会」や「市民」なり「人民」の世界が、その国民一人びとりが「自在」であったか、またあり得るか、といえば、・・・願い下げだ、絶対に!!
 なぜ、「納税」(徴税ではない)するのかの意義が、まったく倒錯した世界に住む者達には、跡形もなく抜け落ちて、「納税」(法定通貨による納付とは限らない)によって成り立つ自律した個人の意思決定権と歴史の共同体との紐帯を切除して、・・・、それが「招き入れる世界」がいかに「反・人」でしかあり得ないかにまったく気付かないのだ!!!

租税の「意義」(手段や目的なんぞじゃない)は、共産主義や社会主義や“独裁王朝”擁護の思想と云う名の狂信やまして表層をナゾる経済学の党派性なんぞには浸食されることのない無縁の、「自律した意思決定」の主体としての、自在(何かから逃れるfree…自由なんかじゃない)性を持した個人の存立、・・・これこそが価値の絶対的存在と云うべき、その肝心の「基盤」を抜きにして、そもそもあり得ないことだ!

「価値移転」の可能な在り方とその移転の「意志決定」(決裁)とその移転に係る「決済」(決裁ではない)、その後の移転された価値の効用の発現の過程と、その基本にまで抽象(理論的思惟)して考えられないのだろう!
 財源確保の日銀引き受けの政府債務も租税も、「価値移転」のみからすればその移転時においては、希薄化によろうが決済によろうが等価だ(同等とか、まして同一とかではない)、・・・「長期の目標」とその「議論」が必須であるのは、だからこそである!・・・なんとなれば、その先に、そしてその根底に、「自律」した個人の自在性と帰属する共同体のその史的な展開の維持が世代を繋いで図られるものかどうか、の課題があるからである・・・決済されない過程は、個人の自在性と歴史的共同体を、無自覚のうちに打ち毀つことになるからである!

かの「論」(その基軸はトートロジーで成り立っている)を唱える者達が、その実態が反社・反人であらざるを得ない左傾集団と“親和”的なのは、けっして偶然ではない、「既成」の連中ともどもに国の資金運営技術論にかまけて、その根底に横たわる倒錯した表層を横滑りする思考の、無自覚の表出なのだ!

必須の「長期の目標」の外に、「いま」その「何を」を措いて外には議論すべき対象なんて何もない、・・・「手段」や「手立て」なんぞでなく、・・・その肝心の事柄ではなく、単に、なぜ「租税」か、なぜいま政府債務での「手当て」でいけないのか、という二次的に過ぎない事柄が、しかも租税の「意義」を抜きにして・・・話しがまったく真逆の、しかも理論を装ってあらぬ方角に向けられ、対抗し合うすべての者が逆立ちして歩いているのだ!!!

何らの長期の肝心の「構想」もないなかで、更に、課税済みの内部留保(既に「投資」済みで有形無形の投資資産に姿を変えているのに)に時の政権権力が「手を突っ込ん」で、「投資させる」というのだ、・・・収益もしくはキャッシュフローの増大見込みがなければなされることは無く、・・政府部門として自身が、その一体、何に向けてか、を示していない事こそが疑問とされ、ダメ出しされているにもかかわらず(かの「論」の賛同者達が、そのダメ出し側に立っているのかどうかは知らない)、・・・「これまでにない良好な関係にある」と嘯く共産中国の強権を「猿真似」しようとでもいうのだろうか、・・・またぞろ「手段」話しを持ち出す、という・・・理論もヘタくれない連中が、・・・すでに増税を表明していた「者」に一票投じておきながら、施行された後に“反対だ”と借り物の「理論」を振り回す連中ともども、「馬と鹿の放牧場」と化した「赤絨緞」を席巻しているようである、・・・!!!