2015年9月27日日曜日

海外から国内へ・・・一時的な現象なのだろうか、中国への投資額

海外から国内へ・・・一時的な現象なのだろうか、中国への投資額がかなり減少している、とメディアが報じている。片方で、或る日本法人・商社が総額一兆円の投資契約を結んだとも報じている。実態はどうなのか?一旦、投じた資金は、少しでも回収した上で引き上げようなどと思っても実際は放擲するしかないのだろうか、なかなか引き上げられないとも聞く。かの国では、資金の移動に制約があるだろうことはぼんやりとでも想像はできる。どうあれ、国内に回帰していると報じている。
投資が同時に他の者にとっては需要を意味するのであれば、海外に向かっていた投資の国内回帰は、供給力が海外から国内に移転するだけで「海外を含む総需給」は不変のまま、「国内」においては需給ギャップを縮小させる勘定だ、という動向ではないか?
もしそういう状況であるならば、雇用への影響も伴うものであれば尚更に、内国資本の、この国内回帰をもっと強力に促すべきである。

話しを一つの具体に絞ってみると、いまの税制は、一部の実物投資については特別に多額のあるいは全額の償却を認め、試験研究支出について税額特別控除ができるようにしている、とのことだが、その改正の内容の中には、税額控除の繰越しを中止させる、というものだそうだ。
 事業投資と試験研究とは同一ではないが、会計上費用とするかどうかとは関係なく、「その効果が将来に及ぶ」という点では同じ意義を担っているだろうと思える。だとすると、なぜ、こんな措置を採るのだろうか?
 有報でも研究開発費は必須の項目として記載される要素のはずで、それは、その企業の将来を左右する要因だ、とごく一般に実感されているからだろう。
 その効果が、将来の複数年に亘ってはじめて発揮される、という経済的実態からすれば、効果が発揮されて利益が上がり税額が上がった時もしくは期間に、その時にこそ企業はその恩恵にあずかることができる事象ではないのか?徴税上も痛みなく、本来の減税を施すことができる。
そうであれば、控除額があれば繰り越させてこそ、制度の趣旨が生かされるはずだと思われるのに、まったく逆の施策でナンボ控除率を高めたと自慢そうにしてみたところで、実効性がないのではないか?もともと僅かな利益なのに経理方法によっては多額の償却費を計上してわざわざ利益があがらないようなことをする企業などなく、投資も、その意味では税額控除一本にすべきである、と云いたい程に、一方で徴税上は翌年度からでも利益計上させ徴税でき、早めに減税を取り戻すことになっている。
現状は、今日の研究や投資の効果は未だ発揮されておらない段階なのだから、投資減税は実際には過去の投資の成果である利益・所得を対象とすることになっているのではないか?
さらには、冒頭の国内への回帰・転換時に赤字が生じたならば、その恩恵が受けられないではないか?
徴税技術上は支出時に行うのが便宜だろうこと、また減税分は投資資金の支出時の実質上補てん金の意味合いかもしれないことは素人にも分かる気がするが、本来の投資や研究開発の経済的意義・効果の「持続性と将来性」とはかけ離れた施術ではないだろうか?なぜ、会計士・税理士のサムライ達は疑問を呈しないのだろう。
物事を単年度で捉える経営者はいないはずで、近い将来の期間の税額軽減の見通しができるという事にこそ、もっと魅力ある誘因とする工夫の余地がある、と考えられる性質の施策であるはずのものではないだろうか? 

金融緩和の単なる物価上昇狙いの実効性が希薄なのは、それが間違っているからではなくて、経済主体である家計・企業というものは、その将来獲得できるキャッシュ・フローの可処分(自身の裁量で支出可能\な所得、経営の意思による処分可能\な再投資原資となる利益)部分が増加する「見込み」、もしくは仮に増加しないまでも「安心できる水準が維持」できる「見込み」がなければ動かないものだからだ、と思われる。これが伴わない限り、税も公共事業も「有効」とならないのだ。
 どんなにミクロの個々の施策であっても、日本経済総体のそれこそ「構\造」のなかで勘案されて、その影響を持続的に及ぼす性質に適ったものとする観点が必要なのでは?と思えてくる。外科か漢方か、ではなくて、両方必要なのだろう。
それが、できるのは役人ではなくて、日本経済をどういう方向に持っていくかという議論のできる、議員の様な専門性も兼ね備えた、政治家のはず。何とかに説法のような細事に及んで恐縮とはいえ、議員は如何か?  当面経済の時が来るというのであれば、真に経済事案に理解のある者が政策立案の中枢に立つべき時だし、多くの納税者はそう願っていると思われる。