2015年9月27日日曜日

公共と地域・・・竹中氏の正論記事

公共と地域・・・竹中氏の正論記事、「現状において日本の需給ギャップ率はマイナス1・7%と考えられている(内閣府推計)」とある「マイナス」とは、デフレギャップのことだろう。これは、経済評論に従っておくなら、需要が足りないことを指すのだろう?もし、そうだとすると、需給ギャップが、TFP同様に、他の何事かを単線的・一義的に規定する説明変数ではなくて、むしろそれこそが説明されるべき現象であることぐらいは素人にも分かる気がするけれども、これに応じるに「供給サイドを強化する」とは何だろう?片や、賃金抑制的な(と考えられている)非正規労働者の固定化政策を推進しているのだろう。議員も賛同したのか不明だが、しかも、竹中氏と同類項の経済諮問民間委員の一人が日経提供テレビメディアで「公共事業は必要ありませんね」と公言して憚らない分野・対象ではないか?何という捻じ曲がった理屈なのか、ということにならないのか? 
 
引き合いに出されているSummersは、竹名氏とは、全く対極に立つものである。9/10付け(竹中記事とほぼ前後しての日)、次のように述べている。
“・・・Broadly shared prosperity is even more elusive today, so what is needed going forward? I would suggest three important steps. First, we need serious enforcement of laws to stop employers from punishing workers seeking to engage in collective action.・・・Second, the (labor)union movement needs to expand on its efforts to build models of collective action that are not rooted in traditional command and control corporation. This may include increased emphasis on profit sharing, on labor management dialogue, on industry wide bargaining, and many other ideas as well・・・Strengthening collective worker voice has to be an important component of any realistic American inclusive growth agenda.・・・”(summers’ blog)
これ自体が多分に政治性の高い者の発言で、とても賛否の表\明の対象などではあり得ないし、全く国情が異なるものを安易に持ち出すわけにはいかないが、かの国の事情がどうあれ、日本では組合幹部でも口にするかどうかと思わせるような発言だ。しかし、なぜか、こういう所は紹介しないのだ。Summersが数年前にNECに就く前の提言のひとつは、米国の老朽化した道路・橋梁ほかの公共インフラ投資のことだった、と伝え聞くが、こういうこともその時点ではダンマリだったであろう。Summersが何者であろうと構\わないが、平民は愚昧で分かるまいとでもいうのか、まるで、自身と同類であるかのように持ち出すのは学者・有識者としての発言ではなかろう。

 公共事業・投資は必要で、まして先端技術を活かさない手はなく、賛同しない者など世間におるまい。
しかし、何にどれだけいつまでに、そしてその後どのように運用するか、一部の地域エゴにならないかなどの観点を踏まえた全国規模の検討が前提だろう。
毎年どこかで繰り返される、近日の人災含みの自然災害は、「全国不特定者の国税」を「特定の地域・事象に投ずる」ことを「よし」とし惜しんだりしない納税者・大衆が感じ取っている健全な公共性・公益性についての意味合いをよくよく捉え返すべきだ、と語っているように思えてくる。議員は如何か?

 かつての地元政治家主導の野放図な利益誘導公共事業の推進者、彼等こそが、自身がいま敵対する「小さな政府」主義者の「産みの親」である一面があったのではないか? 

政治的には、それが誰であろうと、自身の目的(リニア敷設)に寄与する者であれば、手を組むことに信条や思想やまして倫理など持ち込むことは不要かもしれない、がしかし、曖昧にしておくことはできないだろう。