2020年4月20日月曜日

西田先生は市場権力による民主主義の抑圧を肯定する市場主義的全体主義者でしょうか?

西田先生は市場権力による民主主義の抑圧を肯定する市場主義的全体主義者でしょうか?

こんにちは。私、東京大学で学ぶ学生です。先日政治学の授業で指定された参考書の中にヴォルフガング・シュ
トレークの「時間かせぎの資本主義」という書籍があり、非常に感銘を受けたため質問した次第です。
この本の重要な点は以下です
・マルクスのいう資本家と労働者の対立は肥大する金融市場の権力による民主政の抑圧という形で残っている
・実際に、債務残高のGDP比と投票率には負の相関が存在する(民衆の無力感の増大)
・政府債務の制約となっている国債の信用を判断するのは金融市場であり、それが緊縮財政を生み出している
・先進各国の(日本を除くかも?)財務大臣や中央銀行総裁は国債市場の最王手企業のCEOとよく面会する
・金融資本は今や立法・行政・司法・マスコミに続く第五権である(しかし非常に恣意的で利己的である)

金融市場が政府債務残高の増加に緊縮財政という形で歯止めをかけるというのは、先日西田先生が国会質疑にお
いて質問されましたMMTに対する批判のもっとも強力な批判の一つとなっております。黒田総裁が答弁で主張し
ました「MMT理論は国際化した市場に受け入れられない」というものです。(とはいえこの論理は安倍首相が
「日本国の国債を大半の日本国民(それも銀行)が持っている」という事実で破綻します。何しろ日本の銀行は
大量の円建て資産を保有しており、円の信用を毀損するような行為はほとんど自殺行為に等しいからです。それ
でも不安なら国債市場だけ部分的に国家権力を以って統制すれば良いだけです)
しかし、これは政治学的に考えておかしな考え方です。というのも、あらゆる権力の根源であるはずの市民の主
権の集積たる国家権力が、たかがその辺の銀行やら投資家やらの顔色をうかがわなければならないというのです
から。
当然のことながら、こうした状況が継続し、社会的に肯定され、政治的に固定化されれば金融市場に大した影響
を及ぼすことのできない一般国民は政治的無力感に打たれ、本来なら怒るべき経済的困窮者ほど投票に行かなく
なるわけです。その経済的困窮者の中には、将来の日本を担う若者も含まれます。
これは国会議員の正当性問題に直結します。というのも、金融市場権力の肥大による政治的無力感とその結果と
しての投票率の低下を許容し容認したのは立法府である国会であり、実質的に国会議員が金融市場に権力を委譲
し、貧しい国民を黙らせたことになるのですから。つまり、このような嫌疑をかけられることは国会議員として
容認できないはずであり、それを肯定するようでは国民に対して市場というシステムに服従することを要求する
市場主義的全体主義者の批判を免れ得ません。黒田総裁の発言を厳しく追及しなかったのは非常に問題があると
思います。

余談ですがMMTを巡るサマーズやクルーグマンの批判には瑕疵が多いように感じます。彼らの主張の半分は上記
のような金融市場の権力の威光を啓発するものですが、もう半分はMMTにはサプライサイドの思想(スタグフレ
ーションの経験)を無視していることが挙げられますが、前者の問題点は明らかである一方、後者にも問題が存
在します。というのも、MMTにサプライサイドの思想を組み入れると、より効率的にGDPを増進させる財政政
策は次年度以降のインフレを抑制する効果が存在するという事実に着目することになるからです。つまり、無駄
な財政政策を行うことでスタグフレーションを起こせば、そのツケは財政拡大がインフレに直結することによる
財政の制約という形で払うことになるわけです。また、それを鑑みれば、財政政策においてクラウディングアウ
トを発生させない(あるいはクラウディングアウトが起きるにせよ、それがその業界の生産力増大につながるよ
うに長期計画を策定するようになり、複数年度全体としてはむしろインフレ抑制となる)、GDP成長に寄与する
という内容がMMT版財政規律に書き加えられることとなり、

インフレ率+GDP成長(あるいはその安全保障)に対する寄与+民間投資の尊重

という穏当な財政規律に収まります。これは従来の財政規律である

対GDP比の債務残高+PB

などという曖昧な(これが曖昧にすぎることは、なんならクルーグマンを国会に呼び出して追求すれば良いでし
ょう。一体対GDP比で何パーセントの債務水準だと問題になるのですか?PBの黒字化が財政健全化につながると
いう経済学界における統一的な合意は存在するのですか?と)ものではなく、統計的に集計可能\な(よって客観
的で恣意的でない)インフレ率とGDPの実質成長、クラウディングアウトの規模の推定値によって定まるもので
あるのですから、場合によっては財政政策の適切さを点数化することすら可能\かもしれません(とはいえ安全保
障や「より良い国とは何か?」といった集団的価値の問題があるので実際に意味があるかどうかはわかりません
が)。さらにいえば、債務残高の増加やPBは比較的遅効性の指標であるのに対し(つまりヤバくなったときによ
うやく気づくタイプのものであることは、ギリシャやイタリアの例を見てもわかるでしょう)、インフレやGDP
成長は少なくとも10年以内には評価が定まるでしょう。つまり即効性の高い指標であり、財政政策の適切さを
評価する上では非常に有用であると言えます(すぐに政策の見直しをしやすいため、官僚の無謬性によって隠蔽
されがちであった誤った政策を早い段階で正す動機付けとなります)。

つまりサプライサイドの思想とMMTを組み合わせれば機動的な財政政策の確保(通常時は公共事業などで経済的
な下地を作っておき、デフレ不況到来時は公共事業ではなくヘリマネか消費税減税(マイナス消費税の期間限定
導入)で対応すれば良いでしょう。悪銭身につかずは古来よりの教訓ですし、この基本方針は現代の経済構\造に
も沿います)および客観的かつ比較的短期の評価が可能\な財政規律の策定という理想的な着地点を見つけること
となり、むしろ財政規律がどうのこうのと言っていた自分の墓穴を掘ることになるわけです。

このような大学生でも考えつくことに頭が至らないというのですから、ノーベル経済学賞受賞者の名が泣きま
す。恐らくはまず最初にMMTを批判することを決めた上で考えを巡らせていたからなのでしょうが、どうして
「より良い考えにブラッシュアップしよう」という考えができないのでしょうか。全く不思議なものです。