経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子は「AERA」巻頭エッセイ「eyes」で、『筆者には、最初のMがmad のMにみえる。「まともじゃない」のMにもみえる。どこがmadで、どこがまともじゃないのか。一番本質的な ところで認識が狂っている。肝心なことを見落としている。』と述べていますが、西田先生はこの言葉をど のよう考えますでしょうか?現実を知らない学者のたわごとと言えるのでしょうか?私は、mmtは有効な 理論と考え始めています。